先日、秋晴れの週末にドーバー海峡に面した古い港街、へスティングまで絵画を見に行った。
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ジャーウッドギャラリーはNPOで寄付によって運営されている。それでもちゃんと寄付する人が沢山居るのだから凄い。内容はとても良くて、今回の企画展では素晴らしい才能の女性画家レイチェル・ホワードを発見させてもらった。
2階にはこの地方に関係のある過去の作家達のコレクションがある。そこで気になった一枚の絵。
小さな油絵で絵の具をモリモリにまるでウロコのようにしてある。白いコブ牛と黒いコブ牛が重なっている。グラフィックな絵柄だが力がある。素朴な人が描いた絵か、強い自我を持ったアーチストが描いたかどちらか、いづれにしろ本物の匂いがした。
ブレゼスカ、Henri Gaudier-Brzeska)はフランス人でオルレアンの近くの村の家具職人の息子だった。非常に優秀な生徒で、中学校の英語の教師が彼の為に奨学金を申請してくれ、彼は高校時代をは英国、ブライトン、(つまりこの地方)およびカルディフ で 過ごす事ができた。高校卒業後、フランスに戻り生活の為に通訳の仕事に着くが彫刻家としてもめきめき頭角を表した。そのころ、った彼はある図書館で出会ったポーランド人の女性と電撃的な恋に落ちる、しかし彼女は20歳年上で彼の両親が結婚を許すはずがなかった、世間からも排斥されるのを避ける為に彼は彼女の名字を名乗り、二人は姉と弟、と言う触れ込みで、イギリスに移り住む。
ポーランド人の女性作家だったソフィー・ブゼレスカ、当時40歳くらいか
生活は苦しかったがデッサンを売り、大理石を買って彫刻を売り、なんとか生活がたった。というかあっという間にイギリスでは重要なアート運動、ヴォーティシズム (Vorticism) *に飛び込み、会報ブラスト(Blast)。の主要メンバーとして活躍することになった。イギリスに渡ったのは2年間の徴兵を逃れる為でもあったが、に世界大戦が勃発すると志願兵としてフランスに戻る。すると以前徴兵を逃げた仕返しと言うか、せっかく志願して来たのに、そのまま第一線に送られ銃に撃たれて即死してしまった。何とあっけない24年の人生。
芸術家としてはたった4年の活動だったが、幾千ものデッサンと彫刻と多くの手紙、を残し、それらはイギリスとフランスの20世紀の美術に大きな影響を残し、作品は美術館に収蔵されている。
この雑誌の直線的なグラフィズムはかっこ良くて当時評判になった。何しろヴォーティシズム運動はイギリスの20歳前半で唯一の芸術運動だったのだ。
後日記だが、年上の彼女ソフィは彼の戦死を知り発狂した。そして理性的だった彼が戦争に行く前に自分の全作品の目録を作り、すべてを彼女に贈ると言う遺書を残したにも関わらず、彼が死んだ10年後、彼女は貧困のうち精神病院で亡くなる。彼女の死後2年後に国に没収されたすべてをコレクターで歴史家のH.S.Edoが買い取り管理した。
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20歳くらいだろうか、才能に満ちあふれ、自分の生きたい道をまっしぐらに進んで行ったのに、何と言う損失だろう。
短い人生でも彼は多作でMOMA, TATEなど重要な美術館の所蔵品になっているほか大学のキャンパスを飾る大きな作品もある。![]()
ちなみにこの2人が出会った図書館、サン・ジュヌヴィエーヴ図書館は実は私がパリ第5大学、人文社会学部に入っていた時毎日のように通った図書館なのだ。しかも私はこの建築が大好きで大好きでこの図書館のそばに引っ越したくらい好きなのだ。このスッキリした外観、規則的な曲線、そして中に入った時の圧倒的な奥行き、重厚な木家具にグリーンの電気スタンドがセンスよし。
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パンテオン広場に面しているため半端ないヒキガあって全体像がいつでも見える。
一つの絵から作家の人生や時代が浮かび上がってくる、これだから絵画鑑賞は奥が深い。
*(キュビスムや未来派の影響を受けて、代半ば(または)にイギリスに興った、美術(および詩)に関する運動およびそのグループ。「渦巻き派(渦巻派)」とも呼ばれる。)ウィキから